「都の大地震」と「この世」

・元暦二年(1185年)に「都の大地震」がありました。鴨長明の『方丈記』に、そういう記述があるそうです。いや、不勉強なぼくのことですから、これはいま読んでいる『法然と親鸞(山折哲雄)』という本からの知識です。この天災は四万二千三百余りの命を奪ったといいます。

・この時代の生き難さについては、かつて吉本隆明さんに話を聞いたことがあります。とにかく、この時代は厳しいことだらけだった。生きるということが、つらいばかりだった、と。だから、それまでの信仰のなかにある「生まれ変わり」なんか、庶民はいやだったわけです。こんな世の中で、もう一度苦しみたくなんかない。そこで「浄土」という考え方が人気になるんですね。生まれ変わらなくてもいい、死んだら清らかな「浄土」に行けるんだという。‥‥つまり、それほど「この世」が厳しかった、とね。

・付け焼き刃での歴史の話なんかしてますが、言いたいのは簡単なことです。生きていることがいやでしょうがないほど、厳しかった時代が、日本にあったんだ。で、そこで歴史が終わっちゃってるかというと、そういうことでなく、凄惨なまでの「この世」は、いま現在の、ぼくらのいる場所につながっている、と。

いまの時代とは、生産力も、政治も経済も、圧倒的に小さな規模だったでしょうから、ほんとに絶望的な状況があったと思うんですよ。それでも、いま、その時代の人びとの子孫は、つまりぼくらは、ここにいる。どうやって生き抜いたんだろう。失敗も犠牲もさんざんあったのだろうけれど、「この世」を、人びとはつくってきた。すごい為政者がつくったわけじゃないと思うんです。無名のひとりひとりが、掘ったり耕したり工夫したり、泣いたり笑ったりしながら生き抜いてきたんだよなぁ。なんか、ぼくらも後世の人に、ちょっとそんなふうに、感心されてみたい。そうなれるよう、祈りながら、動きます。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。ニュース見すぎると、無力感に襲われちゃうんだよなぁ。
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